旅の原点は第二次キャンプブーム

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旅という非日常的活動をするようになり、早十数年。

思えば、始まりは第2次キャンプブームからのファミキャンに始まる。

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こだわり派なオヤジのせいか

北海道各地のキャンプ場を巡り、キャンプの虜にとなって

今の礎となった。

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小学生の頃だろうか、かの有名な植村直己をリスペクトした団体による

植村直己野外キャンプなる一週間の強化合宿にも参加したりした。

上級コースともなると、生きたままの鶏が放たれ

ソレを捕まえて、自らさばいて

食すことまでする、正にサバイバルキャンプであった。

高校を卒業と同時に、デザイナーを目指して上京し

学校があまりにも低レベルな為、現場で技術を学んだほうが実用的だと判断し

WEBデザイナーのアルバイトをしながら、デザインの学業に励んだ。

バイトは、バイク屋でのWEB制作管理である。

当時、全くバイクには興味がなく

皆さんと同じように、バイクを見ても

どれがどのメーカーの何て名前の車種なのかもわから何てかった。

学校を卒業してから札幌のWEB制作会社に就職し

経験を積むが、将来WEBだけで食べていけるだろうかと不安になり

DTP(印刷物)もできるようになろうと、印刷屋へ転職。

その間、廃墟巡りにハマり

北海道各地の廃墟を発掘しながら巡りました。

あの頃は、まだまだマイナー中のマイナーなサブカルで

廃墟情報が全くなく、自ら開拓していく面白さが

冒険心とクリエイター心を擽ったのです。

北海道を数周していると、北海道は狭いと感じてきた。

北海道はデッカイドーとは、私にとっては戯言にすぎないと事だと思う

のです。

もっと日本国内を旅して見て回りたいと思い、札幌から

愛知県へと移住したのです。

北海道に住んでいたのでは、気軽に本土へ行けませんから。

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移住してから、あるとき

ハイオクガソリンが200yen/1Lに達した頃があった。

あの頃は、三菱ランサーエボリューションⅢという

極悪な燃費の車に乗っていたので、それは悲惨な通勤費だったこともあり

学生時代にバイク屋でバイトしていた時に、取得した中型二輪免許が活躍する時がきた。

7年ペーパーライダーをやった末、遂に二輪車を購入。

イタリアホンダ製の国内限定500台のNS125という

2ストロークエンジンのレーサーレプリカです。

それからというものの、トチ狂ったように

バイク三昧な生活に180°変わったのです。

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NS125に飽きたらず、伝説の’88NSR250Rから

憧れのApuriliaRS250

セカンドにオフロードのKDX125SRを経て

KSR-2や二代目のKDX125SRを乗り

今のApuriliaRS250とHONDA CRM250ARと、ON・OFFデラ早い2台体制となった。

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その間、二輪車で日本国内の各地をキャンプツーリングして周ってきました。

そして、私の旅史上

最も印象深い、観光地化される前の軍艦島にも上陸するなど

長期連休は、もっぱら家に居ないサイクルの一年を過ごしていました。

旅の時は、キャンプかネカフェでの就寝だったスタイルから

キャンプ道具が増えるにつれて、積載量が増えてきたので

徐々にライダーハウスやビジネスホテルや民宿を利用するように変わってきて

四国一周ツーリングの頃からは、お遍路宿にも泊まり

ドミトリーの楽しを覚えてくる。

(フェリーも2等船室以下はドミトリー)

石垣島・西表島旅の時からゲストハウスに泊まり始め

本土で初めて泊まったのは、空穂宿さん。

今まで、寝るだけだった宿泊が

楽しむ宿泊へと変わってきたのです。

それからというものの、もっぱらゲストハウスを利用することになり

目的地そのモノがゲストハウスとなって攻略していく旅となってきた。

元々、いつかは起業したいと言う思いもあった為

ゲストハウスが、やりたいことへとなっていったのです。

そして、今に至るわけで

コレまでの経緯を、末筆ながら記してみました。

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